真実の声を求めて~kamyuインド砂漠のジプシー編~

10年前 真実の声を求めて旅に出たkamyuの インドの砂漠のジプシーと過ごしたドキュメンタリー

製作中

 

 

 

 神秘の唄声を持つ空色カミュ誕生の物語

 

【HISTORY】

 

 

長野県に生まれ一般の家庭でのびのび育つ。小学校ではチャボを飼ったり、イカダを手作りし川を渡ったりと自然の中で創造性を育む。勉強がすごく嫌いで小説や漫画を描くことが好きだった。

初めて曲を作ったのは小学2年性の時。飼っていたチャボさんが死んでしまったことをきっかけに、先生とクラスのみんなと死んだチャボさんの唄を歌った。生きているものはみんないつか死ぬ。ならばなぜ、生きるのか。

その経験が、作詞作曲の原点となった。

 

20歳の時イラストレーターを目指しフリーターとして上京するが、生まれ持ったHSPという特性の中で、現代社会の情報量の多さ忙しさに過呼吸やパニック、躁鬱を繰り返すようになる。倒れるたびに転職を繰り返し、また倒れるそんな日々。私は何をやっても続かないしダメだ。。。と、社会に合わせようと生きてもうまくいかない自分に生きていることが嫌になっていく。

 

そんな中でも自由に絵を描く時と、音楽の中で自由に踊る時だけ元気なことに気づく。

ブラックミュージック、アブストラクト、ジャズ、ヒップホップ、瞬時にその場で感じたことをラップにするフリースタイル、民族楽器、様々な音楽のライブに足を運び、音の世界の表現者へ憧れ始める。

 

精神安定剤がお守りだった東京暮らし。はじめて過呼吸を発症して救急車に乗ったあの日から5年が経過していた。

診療科の薬を飲んでも、ストレスを発散する何かに救いを求めてみても、結局はどこにも助けなどないのだとあるときふと気づいた。

 

【自分で自分を救い出すしか方法はない!】と思い立ったその時、人生に新たな風が吹き始めた。

 

ある夜友人に誘われた六本木のクラブのダンスイベント。煌びやかなステージに、ハウスのダンサーがかっこよさを競う。どの踊りも少し見飽きてしまったなあ。そんなことを思ったその時、聞いたことのないガムランの音がハコに響き出した。

金色の衣装に身を包んだバリ舞踊の女性が、スペシャルゲストで出演したのだった。

 

そのとき私の全身にビビビーーーと鳥肌が立ち電流が走った!

 

私の魂が求めている何かが、そこにあった!!

 

これはなんだろう??

 

自身の内側が強烈に求めている【何か】を見つけるために、婚約中の彼氏とも別れ、仕事もやめてすぐさまバリ島への片道チケットを買った。

 

それが、魂の表現者【空色カミュ】の始まりだった。

 

 

 

インドネシアの旅では自然と大地から沢山のエナジーを与えてもらい、神々の存在を肌で感じながら、ガムランや様々な民族楽器にケチャやバリ舞踊の音の鼓動に、全てを洗い流すようなスコールに、閉ざされつつあった自分の魂の感覚を呼び覚ましていった。今まで閉じ込めていた霊性の目覚が起き始める。

 

その後も自分自身と出会うための旅は続いていった。

 

タイは自分の身体のリズムを取り戻す旅だった。マイペンラーイな精神のタイのゆるさや心地い暮らしが自分にとても合っていた。タイ古式マッサージやハーブのことをSchoolで学び、離れ離れになっていた身体と心の繋がりを肌を通してどんどん取り戻していった。

 

そしてタイのパンガン島のフルムーンパーティーやレイヴパーティーなどで、国籍も名前もわからない人達と朝までありのままで踊り続けることで、どんどん解放が起きていった。朝まで踊り続けた人々の間に生まれる特別な一体感。踊るだけでなんて世界は平和なんだろうと思った。共に踊るって、自分を開放して自然の中で踊るってなんてすごいんだろう!!

 

インドは自分の魂の記憶を呼び覚ませ、自分と深く繋がることを思い出させる旅だった。まるでインドには、地獄も天国も同時に存在しているみたいだった。

 

旅の中で、自分が日本で生まれ普通に生きていて(それは充分に豊かだったはずなのに)ずっと何に枯渇していて、何を見失い始めていて、何を求めていたのかが分っていった。

 

裸足で歩く砂の感触 

ただただ海に身を委ねて見上げる空。

時間の概念を外して生きる。

太陽をゆっくりと身体に吸収する喜び。

初めて見る景色。初めて歩く道。

誰も自分のことを知らない街で、心が繋がる友達ができる喜び。

 

外側の情報に踊らされず、自分の内側から感じるままに生きるとき

絡まっていた何かがゆっくりと解けて、自分が生きている喜びと出逢った。

 

 

誰かがいいと言った世界に自分を当てはめて

迷子になっていたわたし。

 

しかし旅の中でようやくまる裸に戻り

ずっとそこにいてくれた光の存在が声を放った。

 

 

「私はずっとここにいたんだよ」

  

✴︎

 

2007年7月25日。マヤ暦の時間を外した日。

地元長野でたましいの吟遊詩人との出逢いにより、なんとなく歌ったハーモニーの中で私の歌の扉が開いた。

 

 

〜身体中に響き渡る自分の声って、なんて心地いいんだろう〜

 

 

それまではクラブや野外レイヴなどで、誰かが産みだしたの音の中で踊ったりすることで得ていた解放だったが、自分の内側から溢れてくる声に出逢ったとき、明らかに何かが大きく音を立てて変わった。

自分から溢れる声の響きが、こんなにも自分を癒し解放してくれるなんて、、、。

 

唄の扉が開いたその3日後からライブに初出演。

閉ざされていた泉の門が開いたように、次から次へとメロディが溢れ始める。

 

2009年インドを半年間にわたり巡礼ライブ。

オリジナルのCDをドネーションで販売し、売り上げで旅を続けた。

行った先々で出逢った、自然や神々と繋がる音楽や踊りの在り方にインスピレーションを受け、世界各地のミュージシャンやシャーマン、インドのサドゥー、砂漠のジプシーとの共同生活やライブセッションを経て、自分自身との音の繋がりをどんどん思い出していった。

 

 

【あなたの唄と舞は神々しく、とても美しい】

 

ライブを行う度に、涙を流し、そう囁いてくれる人がどんどん出現し始める。言葉を越えた音楽というツールが、人の魂を震わせることを旅の中での音楽セッションを通し実感していく。

 

 

それは楽譜も譜面もない、神秘の音の世界だった。

 地球が織りなす音と宇宙と私とあなたの共鳴。。。

 

 

 

私は自分が旅の中で探していたものの正体を悟った。

それは【自分自身と繋がる真実の声】だったのだ。

それはまさに、自分の生き方と直結していた。

私が過呼吸で苦しんでいたあの五年も

そしてそこから始まった旅での出会いの数々も

その声と出逢うための、全てはプロセスだったのだ。

 

 

 

2010年

長女をタイの山村PAIにて長女を元パートナーと二人だけの

プライベート無介助出産

 

インドの旅から帰ってきてしばらくして

ある朝 夢の中でビジョンを見た。

 

大きな川の前で素っ裸で何かを待っている私。

あたりはまだ暗い。

すると川の向こうから大きな朝陽が昇り始め

川が黄金色に染まり世界がどんどん色づいていった。

 

それと同時に、私のお腹が蠢き始めた。

気づけば私のお腹は大きくて、臨月の妊婦だった。

太陽が昇るのと同時に、身体中に氣の力が満ちて、

お腹の中から赤ん坊が、まるで大地のエネルギーに引っ張られるように降りてきたのだ。

 

うまれる!!

 

 

身体中の血管がまるで木の根っこのように感じられ

その根っこすべてに宇宙のエナジーが送り込まれるような、ものすごい歓喜のエクスタシーを感じた。

 

お股からスポンと生まれ出た我が子を両手で抱きしめようとしたその瞬間、目が覚めた。

 

目を覚ましたあとも、全身にお産をした感覚が鼓動と共に感じられ、赤ん坊を抱いた手も身体が生暖かかった。私は深く深く感動して、涙が溢れて止まらなかった。

 

お産て、あんなに気持ちがいいものだったの?!

 

そして私は長女を妊娠したことを知り、夢で感じてしまったあのお産がしたくて、妊娠6ヶ月のときに産むところ探しの旅へ出ることになった。

 

自然と宇宙とお腹の中にいる命と私と繋がれるお産の場所を探しながら、レストランやカフェで臨月までライブして回った。時にはチェンマイのタイ人ファミリーの家で居候させてもらったりもした。

そしてついに臨月の時。お産できる家が見つかり、長女は、タイの北の山の中にあるPAIという山村の土壁の八角形の家で生まれてきてくれたのだった。

 

お医者さんも、助産師さんもいない中で、自分の身体と赤ちゃんのリズムを聞きながら、音楽と自然と宇宙のエネルギーに導いてもらったお産だった。

 

そして、それは本当に夢で感じた通り、幾千の白い糸に包まれた

宇宙のエクスタシーに満ちたお産だった。

 

 

 

その時の内なる宇宙と繋がるお産の経験から、

内側と繋がる宇宙の【エクスタシィー】と【声】の繋がりについて悟る。 

 

 

光から闇をひとつの【〇】とし、地球、宇宙、森羅万象と繋がり

魂に響く音と唄を即興で奏で産まれるものに~産唄~ウミウタと名付けた。

 

生れ故郷である長野で未婚シングルマザー、そして音楽家として活動を開始。

 

【2015年ファーストアルバム子宮からのラブソング〜産月〜をリリース】

 

アルバムリリース直後、2週間高熱が続き難病と診断される。

夜も寝ずにいろんなことをしようとしていた無理が身体にきてしまった。

苦しい入院中、仕上がったアルバム〜産月〜をイヤフォンで聴いてみると涙が溢れた。

 

苦しいとき、いつも私を救ってくれたのはやっぱり音楽だった。

 

ついに、シングルマザーで二人の子供を育てながらの音楽家生活に行き詰まってしまった。

自分を苦しめているものは何なんだろう?

病気から沢山のメッセージを受け取り、数年かけてゆっくりとその痛みを手放していくことが出来た。そこにはパートナーシップというキーワードもあった。

 

 

その後ゆっくりペースで宇宙とつながるお産のお話会をしたり、親子で楽しめる昼間のコンサートを主催。

 

 最近ではインディアンドラムやハルモニウムという民族楽器を使った【あなたの内なる女神が唄い踊り出す】WORKSHOPやオンラインセッション、リトリート合宿を中心に産唄舞花〜ウミウタマイカ~自分の宇宙と繋がる唄と舞のレクチャーも始動。

 内側に秘められた一人一人の女神性、創造性を開花させている。

 

 

 

長野県出身 福岡県糸島市在住

二児の母(13歳10歳)

 

七色の唄声を楽器のように自由自在に操るシンガー&ダンサー。

 

 

旅の中で出逢った世界各地の音楽家達とのJam sessionの経験を元に、即興で唄を産み出す独自のスタイルを築く。

 

ルーパーを使った多重ハーモニー即興演奏、Voiceヒーリングからダンスミュージック、神社仏閣での奉納演奏、楽曲提供など、様々なシーンで活躍中。神秘と繋がるvoiceワークショップやリトリート、糸島女神まつり主催。

 

2007年シンガーとして活動を開始

2009年インドLIVEツアー

2010年タイシャンバラ祭り出演

タイで長女オーガズミック出産

2018年スリランカ瞑想センターへ楽曲提供LIVE

2020年長野より糸島へ移住

2023年女神祭り シャーマニック合唱団結成

2023年ギターとディジュリドゥ、ボーカルによるダンスミュージックユニット

「BLOOM OF THE YELLOW」結成

2024年即興演奏メインの鍵盤、パーカッション、ボーカルによるNATURE SOUND VIBERATIONユニット「天真音-アマト-」を結成。

 

 

空色カミュアルバムCD

⚪︎全曲作詞・作曲を手がけた空色カミュCDアルバム 

 2015年1stアルバム産月〜うぶつき〜

 2021年2ndアルバム天色夢〜あまいろむ〜